高卒の思考

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「文学部」は「役に立たない」と確信した

こんな記事が話題になっている

 

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一方でこんなブログもある

 

agora-web.jp

 

僕は哲学も文学も芸術も大好きだ。

 

プラトン、カント、ニーチェウィトゲンシュタインの主要な著作はすべて読んだ。

 

僕が敬愛する哲学者は、ソクラテスアダム・スミスニーチェウィトゲンシュタインフーコー、加えて構わないならキリストと釈迦も加えたい。

 

これらの哲学者には「問題そのものを問題とする」力がある。「問題そのものを問い直す力」というのだろうか。

 

モーパッサンフロベールが大好きで(どちらも全集を持っている)、好きな詩人は西脇順三郎だ。

 

これという好きな芸術家はいないが、美術館に足を運ぶのも大好きで、彫刻を勉強していたこともある。

 

それらの価値は1000年後だって揺らがないだろうと確信している。

 

ただ「お金をとって」「若い人たちを一箇所にあつめて」「誰も聞いていない講義」をすることに意味があるかと言えば、意味はないだろう。

 

もし「人生の岐路」のために「わざわざ一箇所に集まって退屈な講義を聞きにいく」のであれば「そんなものを仕事をしても身につくし、本を一冊読んでも身につくし、ボランティアしても身につくし、理系の学部でも身につく」と言いたい。

 

もしかしたら明治大正の頃は、本自体が貴重で、そうした貴重な資料に触れることができるのは文学部だけだったのかもしれない。

 

しかし今は違う。

 

実際、僕は高卒だが、上記の豊かな文学作品や芸術に触れることができる。

 

「文学部の危機」という「教授陣にとっての人生の岐路」なのに、この程度の事しか言えないのであれば、「なるほど文学部に行ってもこの程度なのだな」とむしろ役に立たなさを確信してしまった。

 

役に立つのは「文学」であって「文学部」ではない。

 

 

 

 

それだけでなく、SNSをやっていればわかるが文学系の教授は大抵左派だ。

 

たとえば、僕の弟は某有名私大の法学部だが、そこの教授もドがつく左派だ。(安倍首相とヒトラーを重ねたポスターを、生徒や保護者に見せつけるくらい)

 

左派が悪いのではなくって「そればっかり」なのが問題だ。

 

↓の記事でも書いたが、

 

rxpx.hateblo.jp

 

マスコミの左傾暴走は「仕方ない」では済まされないレベルになってきていると思う。

 

その原動力の一部が文学部だとしたら、それは「役に立たない」だけならいざしらず、社会的にはマイナスになるかもしれない。

 

もう一度断っておくがマスコミの左傾化や文学部の左傾化が悪いのではなく「そればっかり」なのが問題なのだ。

 

バランスの問題だ。